日常

尾形乾山ゆかりのお寺にて

京都市北部、御室仁和寺より西へ約2キロ、周山街道に沿った閑静な住宅街の山の手に、そのお寺さんはひっそりと佇んでいます。

京都市右京区鳴滝泉谷町「黄檗宗 海雲山 法蔵禅寺」と言うのがその名前です。
法蔵寺本堂
(その昔、鳴滝川の造る滝の水音が遠くまで鳴り響いたのでこのあたりを「鳴滝・・・なるたき」と言うそうな。)

そしてここで、私の母の親戚の法要が昨日営まれたのです。

このお寺さんと言うのは、知る人ぞ知る、あの尾形光琳の弟で陶芸家、尾形乾山が窯を営んでいたところでもあります。
尾形乾山陶窯跡地の石碑
光琳、乾山と言えば美術史上名高い「琳派」の中心人物であり、その実家は京都の呉服屋さんとなれば、この私も無関心でいられはしません。

(詳しいことは法蔵寺さんのHPの解説にゆだねることとして、ここでは私の日記として、お寺さんのご紹介だけにしておきたいと思います。)

かの親戚がこの鳴滝の地に居を構えたのはもう50年近く前、その頃はまだ家もまばらで、一世を風靡した映画スターたちの別荘がちらほらあるばかり、「よくこんな田舎に家を建てたもの」と皆で言ってたそうです(幼子だった私の知る由もありませんが)。

今はすっかり住宅地となってしまった鳴滝周辺ですが、このお寺さんのあたりはまだまだ自然が豊かで、山紫水明の地、京都のなかでも最高の環境であることが実感出来、この地を選んだ乾山のセンスのよさに敬服するばかりです。
法蔵寺
改修に改修を重ね、今ではほとんど原形をとどめていないとは言うものの、もと二条家の山屋敷であったところらしく落ち着いた、歴史を感じるこじんまりとした空間で法要は、しかし和やかにいや、幼稚園児である故人のひ孫たちのかわいい読経(に合わせた天使の歌声)もあいまって楽しく進められたのでした。

そしてもう一つ忘れてならないのは、西川秀敏和尚の切れ味鋭い読経と能弁で楽しい説法。

後の食事の席が楽しいひと時になったことは、言うまでもありません。

最近このお寺に入られたばかりと聞きましたが、硬軟取り合わせた人柄と乾山の事跡を研究、紹介したいと言う熱意、我が家と宗派は違いますが今後のお付き合いがすごく楽しみなものになりました。
(ちょっとほめすぎましたかな?)
法蔵寺さんのお雛様飾り
(3月にお邪魔した時の画像です。)

それはともかく、HPの相互リンクを約し握手でお別れして来ましたので、まずはブログでご紹介する次第です。
弊社HP「リンク集」にもリンクを貼らせて頂いています。

文中資料は「法蔵寺さんのHP」よりお借りしました。
厳かで楽しい法要をありがとうございました。

合掌。
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日常

江戸のオートクチュール・小袖展

大阪市立美術館へ「小袖展」を見に行ってきました。
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実はこの展示品、業界では良く知られた「松坂屋はんのお宝」なんです。

私も一時期、松坂屋京都店敷地内にある子会社へ仕入れに通ってまして、「お蔵」だけは何度も目の前にしていたのですが、中は絶対に見せてはくれませんでした。

総理大臣が来ても見せない、という噂もありました。

それは、うっかり文化庁の調査などが入って、重文や国宝に指定されてしまえば、保管施設に莫大なお金がかかるとかで見せないのだ、と、もっぱらの話でした。 (真偽のほどは分かりません)

それが今回こういう展示をするのは、老舗の松坂屋も時代の流れで大丸と経営統合し、いろいろ事情が変わってきたのだと思います。

展示品は長い年月を経て、色あせたものや刺繍の傷んだものも数多くありましたが、なんとも大胆な柄ゆき、構図、(当時はすごかっただろう)色彩に圧倒されました。

テレビの時代劇で女優さんが着ている小袖や内掛けを見て、「なんぼ大名のヨメハンでもそんなに派手なものは着んかったやろ」

と思ったりしてたものですが、実はかなり事実に即したものだったのです 。

そしてその番組の時代考証もきちんとしているのだな、と言うこともオリジナルを見て良く分かりました。

それに豪華さだけに目を奪われがちですが、生地をあちこちで継いで染めたり仕立たりしてあるものや、着物を袈裟や夜着に加工したものもあって、お金をふんだんにかけるけれども貴重品は大事にしてた、ということが分かりました。

どうしてこんな見えるところで生地を継いであるのだろう?と思うものもたくさんありました。

着物以外のいろんなものに加工しなおしたり、また着物に仕立て直したりしたようです。
直線裁ちだからできるワザなんですよね。

展示品そのものだけでなく、背景にある当時の「生活」も少し見えたような気がしました。

わずかな滞在時間ではとても全部、ゆっくりと鑑賞もできず、未練を残しつつ大阪を後にしました。

出来ればもう一度、どこかでお目にかかりたいと、切に思います。

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「我が家のルールブック」の記念撮影

舞鶴

海から見えなくなりました(*_ _)

往古は海から侵入する妖族から守るための祈りの場所として応神天皇をお祀りし、

戦国時代は細川忠興が手なづけた水軍の守り神として手厚く保護され、

第2次大戦中は海を見下ろす重要地として海軍に接収され、

いつもいつも海と共に歩んできた我が「浮島の八幡さん」ですが、歴史の流れの中でとうとう陸の孤島になってしまいました。 (赤い矢印のあるところ)

shima21.jpg

上は平成17年、下は21年の、浮島地区対岸の埠頭から見た様子です。

新しい高層マンションがまた一つ、町内に完成です。

これも歴史のひとコマとして受け入れざるを得ません。

その結果、新しい住民の方が増えるのですから、お祭りもよりにぎやかになるし、皆で力をあわせて守り続けていかねば、と思っています。

浮島の八幡さん(嶋満神社)のHPはこちらです。

きものや

Author:きものや
旧海軍時代の面影残る港町、田辺藩時代の街並み残る城下町、美しい海と山に囲まれた街、舞鶴に住んでいます。
歴史小説の好きなオヤジ(分身のような娘は嫁に行き)、正体不明な社会人の息子(中国、深圳あたりで暗躍中)、家中の全権を掌握する自称「上品な」奥さん、要介護1のじじ、同5のばばの面々でやってます。